何を書こうかと悩んでみたり。その時点で、「書きたい」という欲求から外れているような気がしますが。
3週間ほど時間が空いてしまいました。申し訳ないなと思うともに、怠惰な生活送っているのかなと反省もしてみたりしてます。
鷺沢萠さんのエッセイに「なんで小説家になったんですか、という質問が一番困る。と同時に、なにを訊いているんだと思う」というようなことが書いてありました。
鷺沢さん曰く、なんで小説家になったと考えることなく、文章が好きで、書くことが好きだからなったんだという。
それってすごく良く分かる。なんで小説家になったんですか?なんて質問、おかしいよね。答えは分かってるじゃんか。「なるべくしてなりました」が答えだ。
質問者はどんな答えを期待していたのだろうか。「これこれ、こういう経過があって小説家になろうと決意しました」みたいな逸話が欲しかったのだろうか。
何がその人の運命を変えるのかはその人自身にか分からない。何かきっかけがあってその道のプロになろうと決意した人もいるだろう。重病になったとき、熱心に看病してくれた看護婦さんに憧れて看護士になろうと決意しました、っていう過去を持っている人もいると思う。
でも成功した人全てがそんな運命の分かれ道を持っているわけじゃないよね。何とはなしに続けてたらプロになってしまいました。という人もいるでしょう。
人をみて質問しないといけない。答えを期待して質問してはいけない。どんな過去を持っているのかは人それぞれ千差万別なのだから。
書いているうちに自分で何が言いたかったのか分からなくなってしまった。【こんなにも】は駄文と思ってしまって構いません。う〜〜〜〜ん、こんなんじゃいけません。駄文を書かないように努力する、それが私の出来ることです。 |