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相州小田原をく  2004/3/13


小田原城何故、小田原に行こうと思ったのか。それは本当に突然の閃きだった。
別に「ああ、そうだ京都に行こう」とか思ったわけじゃない。本当に何となくだったんだ。
この日は本当に天気が良くて、バイクを走らせるには気持ちのいい天気だった。
用意して出かけたのが午前11時。遅っΣ(゚Д゚)
いざ、小田原へ!!!
なんで小田原にしたのか。理由は象がいるから。「動物園でイイジャン」?違うんだよー。小田原にはお城に象がいるんだよ。お城の公園に象がいるの。どう?そりゃ、自分の目で確かめたくもなるでしょう?
そんで出発。時刻が遅かったのが災いして道路は渋滞。高速に乗るのに2時間半掛かった。でも高速に乗ってしまえばこっちのもの。80キロ巡航で2時間後には小田原に到着。
象
城からの景色象にははっきり言って感動した!!!大きい!!可愛い!!そして臭い!!!←当たり前。
いやー、お城と象がいっぺんに見られるのは小田原だけだよ。本当にきてよかった。
さて、ここで小田原城の歴史を・・・
室町時代に大森氏の築いた山城が前身で、その後戦国大名小田原北条氏の居城になってから、関東支配の中心拠点として次第に整備拡張され、豊臣氏の来攻に備えた城下を囲む大外郭の出現に至って城の規模は最大に達し、前例を見ない巨城に発展した。
小田原北条氏滅亡後は徳川氏の譜代大名大久保氏が城主となり、江戸時代になると三の丸以内に規模が縮小されたが、稲葉氏の時代に行われた大規模な工事によって近代城郭として生まれ変わった。次いで大久保氏が再び城主となり、東海道をおさえ箱根をひかえた関東地方防御の要として幕末に至った。
小田原城は明治3年に廃城の方針が出され、城内の主な建物は解体された。城址は国の史跡に指定され「城址公園」として、現在も様々な整備が続けられている(小田原城のパンフレットより抜粋)
歴史は好きな紫邦ですが、記憶力が悪いせいで何も覚えていません。小田原の歴史も習ったような気もするけど・・・覚えちゃいねー。
確か、小田原評定とかいったかな。
小田原城が滅びるとき篭城したんだけど、結局城の中で話し合いが旨くいかず、互いにいざござ疑っているうちに結束が緩み、滅んでしまったというわけです。
それ以来、話し合いが旨くいかず、いつまでたっても結論が出ないことを『小田原評定』というようになったとさ。
こんなん好き
緋寒桜歴史の足跡をたどるのは大好き。本当に此処で私が知っていることが起きたんだなぁ、って感慨するのがとても好き。
元来ワイドショーが好きだから歴史も好きなのかもしれない。
歴史って知りたがりの人が好きになる科目でしょう?だから歴史好きなんだ。紫邦は。
城の中は博物館になっていて、色々見物できました。中でも3階に陳列してあった、刀や槍が凄い。本物です。本当に戦で使用してものです。見ていくうちに背中がスーッと冷たくなり、ガラスケースの向こう側から血のにおいがしてきそうでした。鏃も陳列してありました。これがビュンビュン飛んでくるんだよな・・・と空恐ろしくなりました。戦は怖い。単純だけどこんな感想を抱きました。
しかし刀、槍が並んでいる3階は見物人の姿がほとんど見られませんでした。皆3階まで来ると疲れてしまうのでしょうか。ほとんど素通りして展望台に上っていったようです。
展望台にあがってぐるりと回ると海が見えました。風がちょっと強かったけど気持ちよかった。意外だったのは潮の匂いがあまりしなかったこと。風向きの影響かもしれません。
紫邦はお城を見るのが結構好きです。なんかその土地のシンボルに触れたような気がします。昔からある、その土地の人たちはずーーーっと見て育つ。その子そしてその子もずーーと代々同じ城を見て育つ。その中の輪に触れたことができたような気がします。
城から城下を眺め城主の気分に浸り、城を仰ぎ見て住民の気分に浸る。そんな感覚がすきなのかもしれません。
松